「紅楼夢」の料理談義
―名作を舌で味わう―(その4)
茄鯗(かしょう)の謎解き
紅楼夢に登場する料理で、最も有名と言えるものは、第四一章に登場する奇妙な料理、中国語で「茄鯗(Jia Xiang)」という料理である。
「茄」はナスであるが、「鯗」は普通の辞書には載っていない文字で、元来干し魚を意味しているという。しかし、ナスに干し魚という取り合わせは奇妙である。ただ、瓜鯗(干し瓜)といった言葉はあったようで、それから類推すれば、茄鯗という料理は、基本的には干したナスを、鶏肉の煮出汁などで蒸しあげたものと解して良いようだ。現に、料理の名著を著した袁枚は、茄子料理の項目の中で、茄子は煮てから干して干物にしても良いと述べている。
ともあれ、この茄子料理「茄鯗」については、(きわめて稀なケースであるが)紅楼夢の作品自体の中でその作り方、レシピが、大略次のように詳細に説明されているのである。
ナスの皮や筋を取り去り、千切りにして日干しする。メンドリをとろ火にかけて煮出汁をとり、それでナスを蒸し器で蒸し、それをまた日干しにする。この過程を九回繰り返し、パリパリっとなったナスをかめにいれて封をしておく。取り出して食べる時は、油で炒めた雉の筋肉と和えて食べる。
このように、異例の細かさで料理のレシピがここで紹介されている裏には、この料理がそもそも作品に登場する理由、あるいは、そこに至る物語りの背景がある。
すなわち、この料理は、賈家の若奥様ともいえる熙鳳が、長年賈家に仕え、今は引退したものの時折訪ねてくる劉婆さんにお酒を振る舞うのだが、その際の、いわばおつまみに提供した料理なのだ。
劉婆さんはこの料理を一口食べて、このような味はとてもナスとは思えない、騙さないで欲しいという。そこで、熙鳳は再度、このナスを婆さんの口に入れてやる、すると、婆さんは、「どうしてもナスとは思えない、一体どうやって作るのですか」と半信半疑に尋ねる。そこで、煕鳳が、詳細に作り方を説明したのだった。

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この経緯を考えると、この料理のレシピは、実は、庶民にとってのナス料理と賈家のような上流階級の食べるナス料理との間の大きな違いを示しており、庶民的食材のナスですら、その食べ方には、社会階級によって大きな差があることが暗示されている。言いかえれば、贅沢な料理とは、珍しい食材だけでなく、ありきたりの食材をどうのように手間暇かけて料理するかにも掛かっていることが示されている。
しかし、ここには、さらに微妙な諧謔あるいは皮肉が込められている。それは、実際にこの料理を再現してみると分かるという。紅楼夢の研究者や中国料理の専門家が、この料理を再現して食べてみると、あまり美味しくなかったというのである。言いかえれば、劉婆さんは若奥様の説明、すなわち細かい手の込んだ料理の仕方(それはとりもなおさず、一般庶民では真似ることもできないような料理法)自体に幻惑されたのである。
現に、作品をよく読むと、劉婆さんはナスの料理とは思えないと再度にわたって言うが、決して「美味しい」とは表現していないのである。言いかえれば、ここには、支配階級の偽善と、庶民のへつらいとの合唱が演出されているとも考えられるのである。
そう考えると、原作者の意図は、奇妙な料理を丁寧に説明することによって、かえってその奇妙さを際立たせ、登場人物のみならず、読者をも幻惑させようとしたのではないかと解することもできそうだ。
いずれにしても、この料理には、その味とならんで、名前から料理法、食べた人の反応まで、どこか謎めいた香りが漂っている。
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小倉和夫(おぐら・かずお)
国際交流基金顧問、全国農業会議所理事、青山学院大学特別招聘教授。1938年東京生まれ。東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。外務省文化交流部長、経済局長、外務審議官等、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長を歴任。1972年日中国交正常化交渉に外務省事務官として参与、70年代に香港に在住。「日中実務協定交渉」など国際関係関連の著書多数。


