「紅楼夢」の料理談義
―名作を舌で味わう―(その10)
お菓子の効用
紅楼夢には、いくつかお菓子が登場する。月餅や焼き餅など、ありきたりの物も登場するが、中には、内容がかならずしも明らかではなく、翻訳に困難をきたすような物も登場する。
他方、紅楼夢の中でお菓子がどのように使われ、食されているか、その原材料如何といった点では、いくつか興味ある点が浮かび上がる。
一つには、お菓子の原材料は、大観園の園内で調達したものもあることだ。たとえば、宝玉が史湘雲に贈った蒸し菓子の材料は、「みなわたしどもの園に今年できた果物でこしらえたもの」だと襲人が解説している(第三七章)。
また、この場合もそうであるが、お菓子は、よく贈り物やおすそわけに使われている(第三七、三九、六二章など)。
おすそわけについては、それがどのように行われていたかについて、一例が第六二章の記述にある。

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女芸人の芳官(ほうかん)が頂き物の巻菓子を食べているのを見た宝玉が、おいしそうな匂いにつられて自分も一つ取って食べると、側に仕えていた宝玉付きの侍女小燕は、残った分を片付けようとした。すると、宝玉は、「おまえも食べよ。それで足りなかったら、もう少し貰っておいで」という。これに対して小燕は、これだけで自分は十分だと答える。そして小燕は二個だけ残し、「これは、うちの母ちゃんに食べさせます」と言う。
この場面では、お菓子を主人宝玉が侍女におすそわけしているのみならず、主人の前で、その侍女が自分の親族におすそ分けする旨公然と言及していることは、そうした事が、当たり前の日常茶飯事として確立していることを暗示している。一種の大家族である大観園の中の人間模様の一面が窺えて興味深い。
こうしたお菓子のおすそわけは、五月の節句の粽のように皆に配られ、それだけに「分け前」が言い争われる場合もあれば(第三一章)、宮中からのお下がりで戴く場合もあるなど(第四二章)いろいろであった。
また、お菓子は、贈り物として届けられることも多く、それだけに、そこに込められた「気持ち」や気遣いが、とりわけ偲ばれることも稀ではなかった。たとえば、熙鳳夫人が、蟹を食べて詩を詠ずる会に顔をみせず、侍女の平児(へいじ)がやってきて、奥様(熙鳳)は自分のところで食べたいので蟹を戴きたい言っていると申し出ると、席に居た李紈夫人は、わざと悪戯気味に平児をひきとめて酒を飲ましたり、熙鳳夫人が届けてきた揚げ巻菓子の入った岡持ちを、側の召し使いに、熙鳳夫人のところへ持ち帰るように指示したりする。そこには、常日頃「遣いに出したが最後、遊びこけてなかなか帰らない」平児の癖を逆手にとって、熙鳳夫人が詩会に顔を出さないことへの嫌みをぶつけるという、彼女の気持ちが滲みでている。
他方、熙鳳夫人にしてみれば、揚げ巻菓子を、いわば酒宴への欠席のお詫びのしるしも込めて送り届けたはずであり、そこには、若奥様同士の一方では気の遣い方、他方では張り合いの姿が、小さなお菓子をめぐって錯綜していたともいえよう。
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小倉和夫(おぐら・かずお)
国際交流基金顧問、全国農業会議所理事、青山学院大学特別招聘教授。1938年東京生まれ。東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。外務省文化交流部長、経済局長、外務審議官等、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長を歴任。1972年日中国交正常化交渉に外務省事務官として参与、70年代に香港に在住。「日中実務協定交渉」など国際関係関連の著書多数。


