水神に護られている戸田の町
著者:王敏(法政大学名誉教授、当財団参与)
荒川の左岸に開ける埼玉県戸田市には暮らしにつながる近世以前からの旧跡が多いことに驚かされます。散策の折、お寺や神社、鳥居が目に留まると、立ち止まって調べてみます。戸田橋北詰め(川岸1丁目)の「水神社」もその一つ。住居に近いこともあり、しょっちゅう立ち寄って、お参りしています。
よく知られますように、「水神社」は中山道の戸田の渡しを守る位置に立っていますが、鳥居からすぐのところに私の背丈ほどの大変立派な石碑があります。その右脇の灌木に覆われている小さな石碑を見落とされてはいないでしょうか。それには「大杉大明神」が刻まれています。丁寧な説明版があり、そこには勧請元が茨城県にある大杉神社(おおすぎじんじゃ)だと書いてありました。
稲敷市阿波(あば)にある大杉神社は建立が767年にさかのぼります。関東や東北地方に約670の分社を持つ屈指の総本社です。「茨城の日光東照宮」と呼ばれています。境内にある神木の大杉が、社名の由来だそうですが、大杉大明神は古来信仰を集め、「龍神」の性格を持ち、雨乞い、疫病払い、水上交通の守り神だそうです。
本堂手前の地面に「禹歩」と呼ばれる足跡(あしあと)の図が描かれています。図の指示通りに左右の足を踏み歩くと、厄払いになると言い伝えられています。
「禹」とは中国の治水神禹王のことです。治水神・禹王研究会の調査によれば、日本全土に禹王信仰に関係する遺跡、文物等が凡そ158ぐらいあります。
中国でも水神とされるのは、「龍神」のほかに「禹王」があげられます。その原型は中国最初の王朝・夏の王でした。彼は当時の最先端科学・治水を用いて、国福民強の暮らしをもたらしてきたので、原初的「中国の夢」の雛型を作った「神」にされたでしょう。
戸田の水神社と禹王の結びつきはないものかと、ずっと気になっています。暴れ川とされてきた荒川をこれからもなだめるのに何人も神があってもいいのではないでしょうか。隠れている由緒を探っていきたいと願い、私の宿題としています。
王敏 中国河北省生まれ。大連外国語大学卒、四川外国語学院大学院修了。国費留学生として宮城教育大学で学ぶ。2000年にお茶の水女子大学で人文博士号を取得。東京成徳大学教授、法政大学教授などを歴任。現在法政大学名誉教授。専攻は日中比較文化、国際日本学、東アジアの文化関係、宮沢賢治研究。