「紅楼夢」の料理談義
―名作を舌で味わう―(その1)
西遊記、三国志演義、水滸伝と並んで、中国の四大奇書の一つと言われる「紅楼夢」は、一八世紀末に曹雪芹によって書かれた作品であること(正確に言えば、現存の作品の80章まで)はよく知られている。
王家とも縁続きの大貴族賈家の御曹司「宝玉」を中心に、彼をとりまく賈家の人々、なかんずく、親族の令嬢たち、そして多くの侍女たちとの愛と葛藤の物語り絵巻が、国王の来臨を機に造営した大庭園「大観園」を中心に繰り広げられる。そこには、華やかな儀式、華麗な衣服、遊戯や季節の行事と並んで、料理や茶菓が登場する(紅楼夢に登場する「茶」の種類は数十種に及ぶほどともいわれる)。
作者曹雪芹は、元来、食文化でも有名な揚州の出身であり、また、この小説は、多分に作者自身の体験を基にしているといわれるだけに、この作品の中の料理や茶菓に関する描写には、中国の食文化がそこここに滲み出ている。

紅楼夢に登場する料理に関する部分で、とりわけ興味をひくのは、豊富な食材についての記述である。
たとえぱ、新年の宴会用にと、地元の大商人が進物として賈家に贈ったもののリストが、この小説の第53章に登場するが、そこには、穀物とならんで、大鹿、ノロ、豚、羊、チョウザメ、鶏、鴨、雉、兎などなど、数十種類の食材が列挙されている。
こうした食材を用いた料理の中で興味をひく例の一つに、鹿肉料理がある。
ある冬の日に、大観園で詩会を催した際に出された料理である(第49章)。
腹を空かした宝玉が最初に目にしたのは、羊の胎子を牛乳で蒸し焼きにした料理だったが、それを口にしようとした宝玉に、宴会をとりしきっている祖母は、「この料理は、一種の薬のようなもので高齢者が食べるもので、今日は別に鹿の肉がでるはずだからそれを食べなさい」と言う。
宝玉とこの宴席で同席していた女性の史湘雲は、自分たちで料理しようと、別の場所へ行く。二人は当初、鹿肉を生で食べるかとも相談したが、周囲の者に、生はやめたほうがよいと言われて、結局鉄網と串を使って焼いて食べるのだった。
それを見て、自分も積極的に食べるという者もあれば、珍しがる者、見ることは前にも体験してはいるが、自分はあえて食べない者もいる。
よく読むと、そこには、各登場人物の性格、気質が現れている。たとえば、宝玉をめぐる恋のさやあての中心人物で、上品な令嬢の黛玉と宝釵はいずれも眺めるだけで自分は食べない。しかし、どちらかといえば開放的性格の湘雲などは、堂々と鹿肉にかぶりつくのであった。
またこの情景は、ある意味で、中国における鹿肉を食べる風習の歴史を想起させる。
そもそも中国において鹿肉は、炎って生姜と酢のソースで食べるか、スープ状に煮込んで食べるのが、歴史的には習わしだったというが、神棚への供物に使われることもあり、どちらかといえば、珍貴なものとみられていたようだ(現に、中国の食文化を解説した書物によると、長崎の中国人たちは、客をもてなす際、第一等の待遇の料理には16種の品を出す風習があり、それには、熊掌や鱶のヒレなどとならんで、鹿の尾が出されたという)。
さらに深く考えると、ここには、この作品の背景となった清朝社会の微妙な文化的、社会的性格が潜んでいるようにも思われる。そもそも清朝は、北方民族の建国による王朝であり、弁髪をはじめ、北方民族の風習と、伝統的な漢民族の伝統が葛藤し、かつ融合した社会だった。それだけに、元来北方の料理の鹿肉が、宴席で女性たちにも食べられていることは、そうした文化の融合を象徴しているとも思えるのである。現に、紅楼夢の作者曹雪芹について、中国のある文芸評論家は、「満州化した漢族の人、あるいは、漢族化した満州人(ともいえる)」と評している。
紅楼夢に出てくる料理も、読み方次第では、中国社会の文化的伝統や歴史を考えるよすがともなろう。
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小倉和夫(おぐら・かずお)
国際交流基金顧問、全国農業会議所理事、青山学院大学特別招聘教授。1938年東京生まれ。東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。外務省文化交流部長、経済局長、外務審議官等、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長を歴任。1972年日中国交正常化交渉に外務省事務官として参与、70年代に香港に在住。「日中実務協定交渉」など国際関係関連の著書多数。


