「紅楼夢」の料理談義
―名作を舌で味わう―(その5)
紅楼夢と鴨料理
中国料理といえば、焼いた鴨肉を甜麺醤をベースとした甘い味噌で和えて包んで食べる「北京ダック」を想起する人も多いほど、鴨料理は人気が高い。ただし、中国で鴨というのは通常日本でいう「アヒル」をさし、日本では野鴨や合鴨ということもあるなど、鴨という言葉の使い方は微妙に違う。
清朝の宮廷料理の記録によると、1754年のある日のメニューには、点心や漬物を除き、いわば主菜にあたる7種の料理品目のうち、蒸した鴨、燻製の鴨、塩漬けした鴨と3品の鴨料理が登場していたとされ、いかに鴨肉がよく食されていたかが窺われるという。
また、鴨1羽を神事のお供え物として供えるのは、丸々一頭豚をお供えすることを最高のやり方とすれば、それに次いで珍重されたともいわれる。
このように、鴨は中国の食文化に深く、広く根をおろしているだけに、「紅楼夢」においても当然登場している。
ある雪の降る日、宝玉が、宝釵の母親である薛未亡人の家を訪ねると、お茶や果物を豊富に並べて勧められるが、宝玉が「先日、賈珍の奥さまのところ出された鵝鳥の足と家鴨の舌の料理はおいしかった」というと、薛未亡人は早速自家製の糟漬けを持ってこさせて宝玉に食べさせたという(第8章)。

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ここで、「鴨の舌」が出てくるのは、いかにも鴨料理らしい。それというのも、鴨は川や湖の水辺で捕れるだけに、庭などの近くで捕れる鶏等と違って新鮮さを維持するため、伝統的には肉だけ流通させず、鳥一羽丸ごと売り買いすることが多く、それだけに、鳥の舌や足など各部位を利用するのが習わしとなったとも言われ、そうした鴨肉の食べ方の一端が、はからずも「紅楼夢」に反映されているともいえる。
また、それだけに、薛家の嫁で、あまり評判のよくない金桂は、毎日かならず「家鴨を殺して、肉の部分は人に食べさせ、自分は油で揚げて黒焦げになった骨だけを酒の肴にした」(第80章)とされ、鴨肉の骨の部分が酒肴としてよく使われたことがみてとれる。
油ののった鴨肉は、また、精がつく食べ物と見られ、賈璉の愛妾の一人で奔放な性格の尤三姐は、生来選り好みが激しく、よく脂ののった家鴨を料理させるのだった(第65章)。
このように、日常頻繁に用いられた鴨ではあるが、一人当たりの量はどの程度であったのかというと、紅楼夢の時代、すなわち、清時代の贅沢な食事では、1羽の鴨は3椀に分けられたという説もある(もっとも、当時、中国の豊かな家では、出された料理は必ずお下がりを召し使いなどが食する習慣であり、それを見越して調理し、テーブルに並べるので、そうした習慣も勘案せねばなるまい)。
ちなみに、台湾出身の世界的に著名な映画監督李安(アン・リー)氏の作品で、1990年代に人気を博した料理映画ともいえる「恋人たちの食卓(飲食男女)」では、鴨料理は鴨の体に空気をいっぱい吹き込んでから焼くか煮た後、薄切りにして出されているように見られる。
この映画は、台湾のごく普通の家庭を描いているが、料理店の鴨肉の焼き方は、手の込んだやり方をとる場合が少なくなく、鴨料理店でも、薪で焼く複雑な過程は違う場所で行い、レストランでは、最後の仕上げや付け合わせの調理だけを行うというやり方をとるところもあるといわれる。
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小倉和夫(おぐら・かずお)
国際交流基金顧問、全国農業会議所理事、青山学院大学特別招聘教授。1938年東京生まれ。東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。外務省文化交流部長、経済局長、外務審議官等、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長を歴任。1972年日中国交正常化交渉に外務省事務官として参与、70年代に香港に在住。「日中実務協定交渉」など国際関係関連の著書多数。


