「紅楼夢」の料理談義
―名作を舌で味わう―(その3)

燕巣料理の功能

 中国料理の中で高級な珍味としてもてはやされてきたものに、燕の巣の料理があることは広く知られている。

 中国語では「燕窝」と書くが、今日のインドネシアなど、東南アジアの海岸の岸壁や洞窟などに燕が作った巣を漂白して、スープ状にして食するのが通例とされる。

 料理の名著としてよく引用される袁枚えんばいの『随園食単』によれば、燕の巣をまず熱湯に浸し、銀の針で汚れを取り除き、それから、若鶏の汁とハムの汁とキノコの汁の3通りの汁に付けて、燕巣が玉のように半透明になるように煮込むとされる。

 袁枚は、また、この料理の出し方について、いろいろ注文をつけている。たとえば、燕巣は淡泊な味を尊重するので、油物や「武物(ごつい食材)」を一緒に添えてはならないと記している。
 また、袁枚は、(燕巣は貴重品で、なかなか十分な量を確保出来ないせいもあってか)「今の人は豚肉や鶏肉の細切りを添えるが、これでは名ばかりのご馳走になりかねない」と警告し、燕の巣の料理を出すのなら、1椀20匁の、十分な量の燕巣を使わなくてはいけないという。
 けれども、紅楼夢に登場する燕巣は、袁枚の言うように格式ばってはおらず、相当、日常生活に溶け込んでいる。

袁枚像、1800年羅聘画、京都国立博物館所蔵 @Public domain

 たとえば、紅楼夢第10章では、宝玉のところで、特別の宴席でもないのに燕巣が提供され、また、第45章では宝釵が黛玉に、燕巣は「自分の家にあるからお分けしましょう」とあっさり言って、「毎日女中に煮させれば簡単でしょう」と進言している。

 こうした紅楼夢における燕巣の扱い方は、実は、この作品の中では、燕巣が料理と言うより、むしろ一種の薬として扱われていることと関係している。
 もともと燕巣は、咳、喀血などの沈静に効き、滋養があるため、疲労回復の効能があるとされてきた。

 紅楼夢第10章では、苦労性の賈蓉の妻が、素行に問題のある弟のことが気掛かりでふさぎこみ、朝食も喉を通らない状況の時、姑が心配して、問題の弟を気晴らしに宝玉のところに連れてゆくように奨め、そこで燕巣のスープを食べたということになっている。ここでは、燕巣のスープは、元気を出す源とされている。

 第45章でも、燕巣は、その薬効と関連して登場している。ここでは、病弱で、あまり食事も進まない黛玉に、宝釵が滋養のあるものを食べた方が良いと奨め、「毎朝上等の燕窝一両と砂糖五銭を、銀のお銚子で煮てお粥にこさえて召しあがるのです」と言う。

 しかし、ここでは、燕巣は単に滋養の素であるのみならず、実は、人間関係の和合の触媒となっているのである。
 そもそも、黛玉に対して、宝釵が燕巣を食べるように奨めると、黛玉は、自分は病弱のため、すぐ薬を作ってもらったり、医者を呼んでもらったりと、周囲の人々を煩わせているので、それに加えて、燕巣料理を作ってくれなどと言えば、女中たちまで、自分を毛嫌いするであろうと愚痴をこぼすのであった。それに対して宝釵は、燕巣をわざわざ取り寄せたりする手間暇を省くためにも、自分のところにある燕巣をお届けしようというのである。黛玉は、そうした宝釵の好意に「くださるものそのものよりは、あなたのご親切がありがたいわ」と答えるのであった。

 こうして、普段とかく張り合いがちの、黛玉と宝釵の間柄が、燕巣を仲立ちとして、かなり和合されたのであった。

小倉和夫(おぐら・かずお)

国際交流基金顧問、全国農業会議所理事、青山学院大学特別招聘教授。1938年東京生まれ。東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。外務省文化交流部長、経済局長、外務審議官等、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長を歴任。1972年日中国交正常化交渉に外務省事務官として参与、70年代に香港に在住。「日中実務協定交渉」など国際関係関連の著書多数。