「水滸伝」の料理談義 -2
― 犬肉料理あれこれ ―
水滸伝では、極めて印象が不快な場面で、犬肉の料理が登場する。それは、僧侶になった魯智深が、あいかわらず乱行を重ねて修行中の山の寺を飛び出し、村へ降りてきて、とある居酒屋に入った時の場面である。
およそ十椀ばかり酒を飲むと、魯智深は尋ねた。
「なんの肉があるか。一皿持ってきてくれ」
「朝にはいくらか牛肉がありましたが、売り切れてしまいました。少々野菜があるだけです」
魯智深はふっと肉の匂いがしたので空き地に出てみると、塀ぎわの土鍋で一匹の犬を煮ているのが目に入り、すぐに言った。
「お前のところには犬の肉があるではないか。どうしてわしに食わせないのか」
「あなたは御出家の身ゆえ、犬の肉は召し上がらないと思いましたので、お尋ねしませんでした」
魯智深は「銀子はここにある」と言って、銀子を村人に渡し、「まずは半分食わせろ」と言った。村人は慌てて半匹分の煮込んだ犬肉を取り出して、ニンニクを少々つきつぶして持ってきて魯智深の前に置いた。魯智深は大喜びして手でその犬肉を引き裂き、さらにニンニクに浸してそれを食べた(第四回)(井波律子訳『水滸伝』講談社学術文庫、2017年)。
魯智深は、元来犬肉をしばしば食べており、この居酒屋で初めて食べたわけではない。そのことは、水滸伝第五回のところで、魯智深が、桃花村というところに来て、地元に有力者に出会った際、
「酒や生臭物は召し上がられますか」
と聞かれて、
「白酒でも何でもやります。牛肉や犬肉もあれば食べます」
と答えていることからも窺い知ることができる。

出典:Wikimedia Commons
そもそも中国では、新石器時代の遺跡からも人々が犬肉を食していたとみられることが発見されているといい、豚肉と並んで、犬肉は常食化していたと思われる。また、漢代の記録には、羊の肩肉や鹿肉などと並んで、脂の乗った犬肉が宴会で供されたとの記述があるという。加えて、戦国時代の楚の国では、詩歌の中に贅沢な料理のひとつとして「山の苔類と一緒に煮込んだ、太った犬の肉」が言及されていたといわれる(トーマス・D・デュボア著、湊麻里訳『中華料理5000年の文化史』河出書房新社、2025年)
とりわけ、犬の肝臓が珍重されたともいわれるが、総じて犬肉は血気にはやる者にとってエネルギーの源とされていたようだ。また、犬肉は野性的気質の源と考えられ、それが故に、水滸伝でも侠客の魯智深が犬肉をむさぼる有様がことさら描かれているとの論評もある(K. C. Chang『Food In Chinese Culture : Anthropological and Historical Perspectives』Yale University Press, 1977)
しかし、中には犬肉を食すことに異議を唱える者もいた。たとえば、清代において袁牧と並び称されるほどの食通が、牛や犬は人間の友であるとして、これを食する話はいただけないと言ったという。また、明代に書かれた料理について書物の中には、焼酎と犬肉を一緒に食べるのは胃腸によくないという記述もあるとされる(同上)。
他方、犬肉を特に好む地方もあるようだ。なんでも食べることで有名な広州では、脂でさっと炒めた後、醬油味で煮込む「紅燗狗」は、犬の内臓を大きな籠に入れて蒸して食べる料理だという。
マオタイ酒で著名な貴州省には、犬料理専門店もかなりあるようで、そこには犬のペニスを「狗(く)鞭(べん)」と称してメニューに載せている料理店もあるといわれる(周達生『世界の食文化』農山漁村文化協会、2003年)。
また、近代でも、犬肉を食することを厭わない著名人もいた。たとえば、一説によれば、日清戦争前後の時代に日本とも縁が深かった李鴻章は、欧州に外遊中、英国で友人から犬を贈られたが、ペット用ではなく食べるためと決め込んで、珍しいものを賞味できるのは喜ばしいという礼状を送ったという。
また、金日成は特に犬肉を好み、1970年に周恩来が北朝鮮を訪問した際には、犬料理を中心とする昼食会を開いてもてなしたと言われたほどである。
ともあれ、犬肉は時として敬遠され、時として珍重されながら、中国の食文化の一部として残ってきているのではあるまいか。そして、はからずもそのことを象徴する逸話が水滸伝にも登場してきていると言えよう。
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小倉和夫(おぐら・かずお)
一般財団法人 日本アジア共同体文化協力機構(JACCCO) 評議員
国際交流基金顧問、全国農業会議所理事、青山学院大学特別招聘教授。
1938年東京生まれ。
東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。
外務省文化交流部長、経済局長、外務審議官等、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長を歴任。1972年日中国交正常化交渉に外務省事務官として参与、70年代に香港に在住。「日中実務協定交渉」など国際関係関連の著書多数。

