「水滸伝」の料理談義 -3
― 水滸伝と馬肉 ―
水滸伝では、侠客が宴会を開く時、随所で「牛を殺し、馬をさばいて(殺牛宰馬)という表現が登場する(第四一回、四七回、五十回、五一回、六七回など)。
この「宰(中国語ではザイ、日本語ではサイ)」という言葉は、「宰犠庁(屠殺場)」という言葉のように獣の屠殺を意味するが、宰肉(料理用に肉を切り分ける)という表現もあるように、肉を「さばく」というニュアンスがあるように感じられる。
宰牛という言葉もあるにもかかわらず、水滸伝で牛には「殺」、馬には「宰」という言葉が当てられているのは、同じ「殺」という言葉を繰り返すのは文学的でないということも影響しているのかもしれないが、牛は、一頭の牛を殺していろいろな部位を食べるが、馬肉の場合は、食べられる部分の肉を切り分けてしまい、足、頭、内臓などをあまり食べないからではないかとも思われる。

現に、馬の肝臓などは犬も食べないものとして、漢代、唐代を通してタブー視されていたといわれる。ただ、蒙古族は「卵」と称して馬の睾丸まで食べる風習があったともいわれ(周達夫『世界の食文化2 中国』農山漁村文化協会、二〇〇四年)元代以降、馬肉の食べ方に変化があったとも考えられる。
馬肉の食べ方については、水滸伝では特段の描写はない。清代の有名な料理解説本である袁牧の「隨園食単」にも馬肉はまったく掲載されていないことをみると、生肉あるいは焼肉で食するのが通常であったと思われる。
また、水滸伝(第五七回)では、指揮官宋江の下で討伐軍と戦った梁山泊の軍には、歩兵のほか、数千の「連環馬」を使った馬軍がいたが、「三千の連環馬のうち半分は鉤鎌(中国語発音ゴウリアン、日本語コウケンまたはコウレン)にひっかけられて倒され蹄が動かなくなったため」「料理用の馬肉にして食べた」という記述があり、軍馬が傷つくとその肉を食したようである。
このことは、中国においては、英国のように軍馬をいわば戦友といえるものとして、これを食用に屠殺したりすることを禁ずるといった慣習が存在しなかったことを意味しているとともに、馬肉の食べ方はかなり荒っぽかったものと想像される。
なお、歴史的にみると、漢代では馬肉は一般によく食べられたが、宋代には金持ち階級に珍重され、明代では宮廷料理にも登場したという(K. C. Chang『Food in Chinese Culture : Anthropological and Historical Perspectives』Yale University Press, 1977)。
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小倉和夫(おぐら・かずお)
一般財団法人 日本アジア共同体文化協力機構(JACCCO) 評議員
国際交流基金顧問、全国農業会議所理事、青山学院大学特別招聘教授。
1938年東京生まれ。
東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。
外務省文化交流部長、経済局長、外務審議官等、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長を歴任。1972年日中国交正常化交渉に外務省事務官として参与、70年代に香港に在住。「日中実務協定交渉」など国際関係関連の著書多数。


